私の原点 孤独の意味を知った自分編

はじめに

f:id:sunafukikun:20190321154309j:plain

私が「言葉」の力を信じるようになったきっかけは、孤独を味わったからでした。自分が一人になったことで、今までの行き方を変える必要がでてきました。今回は、その「孤独」を経験するまでのいきさつを紹介していきます。次回は、私が書物を通して、ある現代文講師と出会い、いかに「言葉」と向き合うようになったか綴っていきたいと思います。

 

記憶のない日々

今思いますと、自分は当時何を見ていたのかと思います。答えは何も見ていなかったと思います。あるいは、見えている対象から、ほとんど何も意義を見出せなかったような状況です。特に「自分自身」に関することは一切考えてなかったようです。自分を鏡で見るのが怖かったのも、自分と向き合う術を知らなかったからかもしれません。

 

だから、あんまり記憶がありません。自分自身を考えたことも語ったこともない。ひどいことに、自分の好きなこともなかったような気がします。趣味もありませんでした。あなたはこういう考えだから、私はこういう考えがあるという発想はありませんでした。

  

自分を主体的に変えられないもどかしさ

生きづらくなったからと言って、その生き方を変えることはできませんでした。どう変えて良いのか分らなかったからです。その術を知らないのです。幸運にも、生きづらい人間であってもある意味普通に生きることができました。その方法は黙って、端っこのほうにいれば良い。人と関わらないようにすれば良かったのです。

 

他者の関係性を無理に保とうとする必要性はない。不快より快のほうが良いに決まっている。人との関わり合いで快を得られないのであれば、一人で快を得ればよい。一人ふさぎこんで楽しく生きれば良い。そのような人間であっても日本ではある決まったレールを走れば生きることができる。ある団体や会社に所属すれば次のステージに進める。与えられたことをしっかりやればお金がもらえて、そのお金を頼りにたくましく生きることができる。

 

「浪人」とレールから外れる虚無感

しかし、私はそのレールに乗ることができませんでした。与えられたこともこなすことができなかった。何を求められて、何を答えれば良いのか分らなかった。自分が何を欲していて、いや何を得ていて、何を失っているのか。何もわからない。ただ、わかるのはみんなが良しとするレールになんだか分らないけど自分だけ乗ることができなかったということ。取り残されたという感覚。ここからどうやって生きていこう。何も分らなくなった。その瞬間、僕にとって決定的な出来事が起こりました。出来事というかある事に気付いたのです。

  

圧倒的な「孤独」を体験して、「孤独」の意味を知る

僕は孤独だ。僕は一人になった。みんなが乗っているレールから弾き飛ばされた。もう、たった一人だ。共同体も所属もなにもかも嘘だ。そんな虚無感というか喪失感を抱えていました。その時は今でも覚えています。世界と一人という単純な構図が眼前に現れたのは覚えています。

 

そして、何かを急激に欲していました。その何かは分らなかったですが、この孤独を埋めるなにかを渇望していました。生きるために、食べるより、眠るより、それがないと生きていけない。生きる意味を失いかけていたのかもしれません。君は一人なのだよと抽象的に言われても気付かなかったのです。具体的に、実際に一人になってみないと孤独は味わえなかったのです。

  

言葉でしか他者と繋がれない

孤独になって、何かを頼りたくなりました。そこで、本を読んでみました。そしたら、私みたいな人がいっぱいいることに気づきました。彼らはどうやってその孤独を乗り越えようとしたのか必死に探しました。彼らは言葉で他者と必死に交わろうとしていたのです。でも、僕は不特定多数の他者と交わるすべを知りませんでした。自分で必死に考えましたが明確な答えを見つけることができませんでした。