元国語教師が「言語」と「英語」を考えるブログ

「言葉」との向き合い方、 英語学習、スペイン語、中国語、マーケティング、ポジティブ心理学について考えていきます!

日本で「外国人」、「ハーフ」として生きること。言葉の暴力。

 

はじめに

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今回は自分自身についてではなく、言葉の暴力につい考えていきたいと思います。

 

言葉の暴力は、物理的な暴力とは異なります。

心にグさっと刺さってしまいます。

 

物理的な暴力は分かりやすく、回復も早いかもしれませんが

言葉の暴力はなかなか見えづらいかもしれません。

癒えることもないかもしれません。

トラウマとして一生涯残るかもしれません。

 

私は言葉の可能性や、正の部分をこのブログで綴ってきました。

言葉によって自分が自由になって、開放され、自信を付けてきたからです。

言葉には無限の可能性があって、「言語」という側面から考えれば

グローバルに人と繋がることができます。

 

「言語」と向き合うというブログのタイトルを改めて考えてみると、

本当に向き合っているのか?懐疑的になってしまいます。

言葉の恐ろしさや、負の側面からずっと逃げていたように思えます。

 

そこで今回、言葉の負の側面に苦しんでいる人

言葉の暴力立ち向かっている人の話を参考に

自分なりに彼らとどう立ち向かうべきなのか

考えていきたいと思います。

 

難しいテーマです。

言葉の選び方、定義の仕方には誤解が生じるかもしれませんが

勇気をもって綴っていきたいと思います。

 

日本人とは何か?

日本人以外の方が、日本で増えている。

日本人以外の方をどう定義するのが良いのか難しいですが

外国人労働者の数が増えています。

日本人とは何か?を考えることが多くなっています。

 

歴史的にとか、文化的にルーツを探るのはとても難しいでしょう。

今回は、言葉について考えるということなので

「日本人」という言葉のイメージに絞ってみます。

日本人らしさと言った方がいいかもしれません。

 

woman.mynavi.jp

 

自分たちでは、「日本」「日本人」のイメージを想像することは

難しいように思えます。

外国人が「日本人」をどのように感じているのか?

 

上記の意識調査によると、上位に来るのが

「清潔」「安全」「おもてなし(親切)」などです。

 

時々、外国人観光客が「日本の路地にはゴミがなくて清潔で驚いたよ」

と街頭インタビューで答えるのを目にすると

「日本人はやはり清潔なんだ」と思ってしまいます。

 

「日本」=「日本人」という思考が自動的に働いて、

すべての日本人がそうだと、勝手に思い込んでしまいがちです。

 

外国人とは何か?

外国人に対してどういうイメージをもっているでしょうか?

 

すべての日本=日本人という思考が

日本人は「清潔」「安全」「親切」を生み出し

対比構造を生み出しているのかもしれません。

 

外国人は「不清潔」「危険」「不親切」

 

外国人とは日本人とは異なり、

不清潔で、危険で、不親切な存在だと。

 

誤解を解くために言っておきますが、私自身は全くそのようなイメージはありません。

 

海外留学生活を通して、日本人よりも親切で、清潔で、友好的な

そんな友達ばかりでした。

 

問題は外国人の方々と共生する

そこにステレオタイプのイメージが横たわったいるようです。

 

www.kanrikyo.or.jp

 

外国人の方々が部屋を探すのは大変なようです。

 

外国人は入居お断りのところが多いからです。

その入居拒否の理由は、家賃未支払いや、ゴミの分別ができない等の理由です。

 

いざ、共生するという行動が生じるとき

もし外国人と一緒のアパートや、マンションに暮らしたくないならば

自分自身の彼らに対するイメージの負の側面をしっかり具体化する。

 

そうすることで、自分のもっている「外国人」という言葉のイメージを

個別の具体的な人に変換させる。

 

彼らと対話し、理解して、受け止める。

 

安易にお断りするのは

どこかにかられを日本人と外国人を

分け隔てる「差別」があるかもしれません。

 

 

ハーフとはなんでしょうか?

外国人は、母国に帰れば

イギリス人、タイ人、パキスタン人、アメリカ人、チリ人等

彼らにとって、外国人は一時的な、呼称です。

嫌なことがあっても、母国に帰れば立場が逆転します。

 

外国人は日本人から共感されます。

私たちは海外に行くことによって「外国人」の自分として経験できるからです。

日本に住む外国人の気持ちを共感できる日本人はたくさんいるでしょう。

 

「疎外感」「孤独感」というイメージを共有して

相手と繋がることができるでしょう。

「日本で一人でつらいでしょうね」という思いが自然と湧き出てきます。

 

一方で、「ハーフ」という言葉はとても曖昧だそうです。

 

www.nippon.com

 

誰かの一方的な活躍で勝手にイメージがつくられてしまいます。

下記のインタビューによれば

 

日本では、黒人とのハーフの人は、スポーツとか歌手でないと

活躍できないイメージがあると、語られています。

 

私たちは勝手に、「力強い」とか「パワフル」というイメージを

もっているのかもしれません。

 

「日本人より日本人らしい」「日本語が上手ですね」

という発言は、「あなたは日本人ではない」と受け取られてしまいます。

 

今度は、自分の存在があゆふやになってしまいます。

 

そのような「ハーフ」という言葉の土台に生きている人たちは

日本人から外国人のような共感も受けづらいかもしれません。

 

www.refugee.or.jp

 

自分は一体何者なのか?

不安を煽るような発言も立派な言葉の暴力になっているかもしれません。

 

ハーフタレント、ハーフスポーツ選手が活躍し

日本が多様化しているのは良いことかもしれません。

 

number.bunshun.jp

 

ただ、安易な多様化は問題を無視することにもつながります。

 

人種、民族、性別、性同一性、年齢、社会階層、身体能力、属性、宗教、倫理的価値、出身地、政治的信念など、自分と異なるバックグラウンドや考え方、信念を持つ人が存在することを、我々が理解し、受け入れて初めて、社会の多様化と言えると思う。

 

スーパースターになって「ハーフ」から個の存在になれるのはわずかでしょう。

一人一人の方々としっかり向き合うためにどうすれば良いでしょうか?

 

 

本人たちの苦しみをどうやって想像するのか?

「ハーフ」という言葉の曖昧さゆえに

当事者たちの存在も曖昧になってしまう。

だれも明確に彼らを、言い当てることもできない。

 

対話を大切に、自然体に彼らと向き合う。

自分たちを日本人という安全地帯から見てもなんの解決にもならない。

 

自分の中の変なステレオタイプな考えを具現化して、言葉にする。

その言葉を消化して、全てが溶け込んで一体化する

それが理想なのかもしれません。

 

※この記事では「ハーフ」という言葉や概念を用いていますが

 固定的かつ自然的なものとして想定された「人種」という区分を

 安易に前提する立場に立っているわけではありません。

 

※私自身の元生徒や、友人の方々の苦しみをしりどうにか彼らを理解したい

 共感したい。そのような思いがすべてです。ご理解よろしくお願いします。