はじめに
今回は私が「言葉」と向き合うことができなかった時期を振り返ろうと思います。感覚が私を支配しており、動物的に生きていました。次回以降は、私がなぜ「孤独」の意味を知ったのか、いかに「言葉」と向き合うようになったかを綴っていきたいと思います。
立ち止まって自分自身を振り返る。それができるようになった時に、「言葉」と向き合おうと前向きになったように感じます。それまでのぼんやりとしていた時期は決して無駄ではないと信じています。その時期の葛藤が今の原動力になっているからです。
新年を迎えるまえに、皆さんも立ち止まって自分自身を振り返ってはいかがでしょうか。
快・不快の世界
私は以前、動物のように生きていました。感覚が私の行動を支配していました。もっと正確に言えば、感覚的にしか生きることができなったのです。嫌な思いをしたら、その場から逃げるとか、心地よい気持ちになったらその場に居座り続けるとか、そういう快と不快が私の頭を支配していました。その両極端の感覚が私たち人間のすべてなのだと本当に信じていました。
ですから、正しい生き方は快の事柄を見つけて、その心地よくなれる行動をたくさんするのが賢い生き方なのだと。それを思いっきり謳歌するのが人生の目的。それをがむしゃらに探すバイタリティとか体力とかが評価されるのだと。なぜなら、私は考えることや言葉を綴ることを知らなかったからです。その存在を知ったのはずっと後のことでした。
世界には感覚しかない
自分の喜びとか悲しみを伝える術を知らなかったので、それらの感情はすべて自分で解決するようにしていました。世界には感覚しかないと思っていたからです。そして、その感覚から派生する嬉しい・悲しい・寂しい・・という気持ちをなんとなく受け止めていた程度です。唯一できるのは、相手を喜ばせたり、驚かせたり、からかったりするだけでした。言葉を操ることなど全くできなかったので、突拍子もない行動が私の唯一の自己表現でした。
共同体によって生かされていたことへの気づき
~区民として、~市民として、あるいは~小学生、~中学生、~高校生として、ただ生きれば良いと思っていました。ある共同体に所属していれば良いのだと思っていました。地理的に言えば、自分が世界に生まれた地点から生活範囲が広がるなかで、ほんの少しずつ自分を外界に適応していけば良い。
人に関して言えば、人との関わり合いは生まれたときからの蓄積・年数によって強くなる。身体的な接触が多ければ多いほど、その結び付くが強くなる。そんな感じです。自分の快・不快の世界から派生する感情を共有できる共同体、それを渡り歩くことがすべてだと思っていました。
感覚の世界の限界
ですが、そのような生き方にも限度があることに気付いてきました。ある時期から、感覚的に生きづらくなってきてしまったのです。自分の生活範囲や交友関係もしだいに拡大するなかで、無理が生じてきました。感覚的に生きる人はなんだか隅っこのほうに追いやられるような、そんな予感が生じました。いずれにせよ、生き方の転換が必要になってくるのではないかと思うようになりました。
感覚的に生きていた日々への回顧
感覚的に漠然と生きていた時は、生きることは一人で完結するものだと思い込んでいました。まずは自分がいて、その後に他者がいるようなイメージです。また、感覚で生きていた時は立ち止まらずに日々を過ごしていました。ある意味、盲目であったし、幸せだったかもしれません。
言い方を変えれば動物的で受動的だったかもしれません。自分が周囲からどう見られていたか全くわかりません。当時は、自分と関わった人間が自分をどのような眼差しで見ているのだろうと思った事がありませんでした。
感覚が支配していた原点、優等生の自分
そのように生きることができた理由はいくつかあります。一つは、自分は優等生として生きてきたからです。小学校、中学校と人から言われたことを何も疑いなく実行してきました。教えられた知識を覚えて、それを無批判的に受け入れて、再提示してきたのです。それが正しく生きることだと強く信じていました。そうすれば周りから褒められたし、すごいねと言われたからです。
誰もその生き方を批判しませんでした。ですので、僕は何も考える必要もなかったし、語るべきこともありませんでした。ただ、それだけで満足していました。言われたことに納得して、うんと肯いていればよかったのです。
それは、人との関係を築くときも同じでした。この時から、暗雲が立ち込めていたのかもしれません。周りの人は何かを語ろうとしていたのに、僕は何も語ろうとしていませんでした。ただ、なんとなく生きていました。君は頭が良いね。おりこうだね。優しくて素直だね。そう言われてただ嬉しかったのです。でも、なんにも考えていませんでした。自分と向き合えない人は他者とも向き合えない、「言葉」によって人とつながることなど考えることはありませんでした。